もしも幸福が見えるとしたら

それはこんな景色の事じゃないかな

Hey!Say!JUMPのみなさんへ

 

改めて、10周年おめでとうございます。

 

ずっと10周年っぽいブログを書きたいと思っていたのですが、なかなか何を書いたらいいか分からず更新をサボっていました……。

 

今回のブログは今まで以上に自己満で支離滅裂ですが、お許しください……。

 

 

 

Hey!Say!JUMPといっしょに歩んで来た10年、わたしは幸せだった。

 

 

もちろん、タイミングよく山田くんを知ることができて、10年間応援できていることも幸せだし、10周年をお祝いできていることも幸せだけど、それまでの年月がじゃんぷからもらった幸せで溢れていたなと振り返ってみて胸を張って言える。

 

 

ここからはじゃんぷと歩んだわたしの10年について、高校時代からは現場の記憶も割とあるので交えながら書いていく。

 

 

 

 

じゃんぷがデビューした時、わたしは11歳で小学生だった。

 

 

初めて応援したジャニーズだったので、デビューする!ということがどんなことか分かっていなくて(笑)

だいすきな山田くんをテレビでたくさん見られるようになるんだー!くらいにしか思っていなかった。

 

小学生だったので、デビュー発表の場に居合わることができたわけではなく家のテレビで呑気にHEY×3を見て喜んでいた。

だからこそ、その場にいたYa-Ya-yahファンや、J.J.Expressファンの当時の気持ちを綴ったブログを読んで、Hey!Say!JUMPのデビューで苦しい思いをした人が多くいることにやっと最近気づいたし、自分の幼さを悔やんだ。

 

センターが裕翔くんから山田くんに変わったのもたくさん映るから嬉しいなー!くらいにしか思っていなくて、裕翔くんの葛藤や、それによるやまゆとの軋轢も考えていなかった。

 

それくらいに、わたしは山田くんのことしか考えていなくて、デビューも嬉しい!センターになったのも嬉しい!しか感じないお花畑小学生だった。

 

 

 

そのお花畑小学生も中学生になり、待ち望んだファーストアルバムを誕生日プレゼントとして買ってもらったり、お小遣いを握りしめて自転車で雑誌を買いに走ったり、同担に初めて出会ったりする中学生らしいヲタクライフを送っていた。

 

 

そんな中学生のころ、わたしは今でも忘れられないひとことを同級生の男子から言われることになる。

 

心のノート(懐かしすぎる)の自分のことについて書くページを埋める道徳の授業があった。

その項目の 尊敬する人 の欄にわたしははずかしげもなく書いたのである。

そう、山田涼介 と。

 

(そこに書いたわたしもわたしだ。

今でも尊敬はしているけど、きっと違う人の名前を書くと思う(笑))

 

その 山田涼介 という文字を見た近くの席の男子が言った。

 

「お前、まだHey!Say!JUMPなんか好きなの??(笑)人気もないし、全然売れてねーじゃん(笑)」

 

(今考えると、山田涼介=Hey!Say!JUMPって名前が出てくるのってすごいな(笑)とか冷静にツッコミできるし、Hey!Say!JUMP知ってるの嬉しいってなるけど(笑))

 

当時のわたしはひどく傷ついた。

ちょうど2011年ごろで、メンバーの脱退などもあり、敏感になっていた時期だった。

その男子のことが一瞬で嫌いになった(単純)

 

 

そんな苦い思い出のある中学時代を経て、わたしは高校に進学した。

 

この高校時代、他Gではあるが大切なヲタ友に出会うことになる。

毎日、朝昼放課後とジャニーズの話題で盛り上がり、高校を無事卒業できたのは彼女たちのお陰だとも思う。

 

そんな楽しいヲタクライフを送って、ジャニヲタ最高〜〜!!とキラキラしていた高校生のわたしはツイッターで仲良くなった有岡担と参戦するようになって、よりHey!Say!JUMPにのめり込んで行った。

 

それまで、相葉担の叔母と裕翔担の従姉妹と身内で参戦していたので、初めて友達と思い切り騒ぐ楽しさを知った。

 

そんな中、2013年の矢印魂(全国へJUMPツアー2013)では 山田くんの誕生日が祝える〜♡って喜んでたのに、スーパージャンピングシートの衝撃とか布で覆われた埋まらない座席とか、それまでずっとお花畑だったわたしにも感じられるほどの危機感があった。

 

中学時代に言われたあの忌々しい()ひとこと、人気がないってことを突きつけられた感じがした。

 

このとき、今みたいな大学生だったら多ステしまくって少しでも席を埋めようとしてたと思うし、それができたらどんなに幸せだったかとも思う。

でも、バイト禁止の貧乏高校生にはどうにもできなくてすごく歯痒かった。

自分はじゃんぷのことを支えてあげたいけど、今の自分じゃ全然力になれてないなって考えると、すごく申し訳なさを感じた。

 

 

高3の春、with魂(LIVE with me in TOKYO DOME)に参戦したとき、初のアルバムを引っ提げてのツアーが発表された。

一緒に参戦していた有岡担の友人と一度は喜んだものの、ツアー日程は当時受験生だったわたしにはきついものがあって諦めることになったのである。

 

 

そして、そのまま無事大学に進学したわたしは、受験期から少しじゃんぷから離れていた。というより、現場を離れていた。

地元を離れて大学に来たので、いつも一緒に参戦していた有岡担の友達や従姉妹ともなかなか会えず、1人参戦を考えられなかったわたしは現場とは離れて茶の間で応援していた。

 

 

そういう訳で、高3のときのsmart魂、大1のときのcar魂(JUMPing CARnival)には参戦していなかったが、全わたしの中で伝説と囁かれているcar魂のDVDを見たとき、「あれ??わたしなんでこれ見に行ってないんだ??なんで行かなかったんだ??」と思った。

 

あのDVDを見たときの衝撃と後悔を胸に、わたしは新たなるヲタ友探しを始めたのである。

 

それは別の記事に書いてあるのでよろしければ是非……(宣伝)

友人をJUMP沼に引きずり込んだ話 - もしも幸福が見えるとしたら

 

 

そんなこんなで無事(?)ヲタ友を作り出しして、2年ぶりにじゃんぷに会うことになった。

 

2016年11月3日、日本ガイシホール

 

会場には空席なんて見当たらなかった。

 

じゃんぷがすごくキラキラしていた。

 

こんなにダンス綺麗だったっけ?こんなにトークがきちんとできていたっけ?こんなに堂々としてたっけ?こんなに頼もしかったっけ?

 

わたしが久しぶり見るじゃんぷは、数年前より多くのファンに囲まれ、数年前よりダンスが揃っていて、数年前よりすごく大きなグループになっていた。

 

少しじゃんぷから離れていたけど、

ああ、わたしの居場所はいつまでたってもココなんだろうなあ。きっとどんなことがあっても、いつになってもHey!Say!JUMPがすきだなあ。

と、ぼんやりと思った。

 

じゃんぷが在り続ける限り、わたしはきっとここに戻ってくるんだろうと思った。(別に他のところに行ってた訳ではないけど(笑))

 

 

それからわたしはもう一度じゃんぷにのめり込んでいった。

 

去年は強かった自名義と、優しい友達のおかげで2016年のおわりをじゃんぷで締めくくることができ、2017年、10周年のはじまりをじゃんぷとお祝いすることもできた。

 

 

 

そして2017年。

 

記念すべき10周年だ。

 

後悔しないように、たくさんたくさんお祝いしようと決めて過ごした。

 

 

アリーナツアーでのH.our Timeは何回聴いても泣いてしまった。

 

毎回途中まではなんとか我慢するんだけど、有岡くんのパートを聞くともうダメ(笑)

『悔しくて見返したくて きっとこんなはずじゃないって』っていうところは、例の中学時代のあの男子が言ったひとことを思い出して、目のダムが決壊した。

 

 

「お前、まだHey!Say!JUMPなんか好きなの??(笑)人気もないし、全然売れてねーじゃん(笑)」

 

あの時、わたしはすごく悔しかった。

こんなに魅力的なのに。なんで認められないんだろう。

数年後は個人がいろんな場所で認められて、人気グループになってるから見てろよ!!

そのひとことを訂正させてやるからな!!と本気で思っていた。

 

悔しい。見返したい。きっとこんなはずじゃない。

ちっぽけなファンであるわたしですら思っていたことだ。

 

本人たちはもっともっと悔しいと感じていて、もっともっと不安で、それでもきっと大丈夫って言い聞かせてここまで来たんだと思うと、涙が止まらなかった。

 

そして、いつもその太陽みたいな笑顔でじゃんぷを、ファンを笑顔にしてくれた有岡くんが歌うことで余計に涙が止まらなかった。

 

 

 

ツアー初日も、山田くんの涙を見た時には嗚咽しながら泣いてしまって、おかげで山田くんのかわいい泣き顔が見られなかった。

 

 

 

最後の挨拶で、みんなが口々に言ってくれた ありがとう という言葉。

 

わたしからすれば、こっちこそ ありがとう って感じだ。

 

Hey!Say!JUMPのファンじゃなかったら見られないような景色、Hey!Say!JUMPのファンじゃなかったら生まれなかった感情、Hey!Say!JUMPのファンじゃなかったら出会えなかった人たち、Hey!Say!JUMPのファンじゃなかったら頑張れなかったことがたくさんある。

 

Hey!Say!JUMPに出会えてなかったらわたしはどんなふうに生きていたのか、どんな毎日を過ごしていたのか。

生活がすべてHey!Say!JUMPで回っている今とは全く違う、刺激のない日々なんじゃないかと思う。

 

 

 

Jr.時代のグループからHey!Say!JUMPでデビューするって言われたとき、ここでやっていこうと決断してくれて ありがとう

 

年下の子たちが多いとはいえ、高校生だったのにグループの成長のために自ら嫌われ役を買って出てくれて ありがとう

 

自分の武器となるものをたくさん身につけて、Hey!Say!JUMPの人気の火付け役となってくれて ありがとう

 

いろいろなキャラに変身してバラエティーを盛り上げてくれたり、メンバーひとりひとりのことを認めて素直に褒めてくれて ありがとう。

 

BESTと7の橋渡しとして、その素敵な笑顔で、グループだけじゃなくてファンまで笑顔にしてくれて ありがとう。

 

努力して自分のポジションを見つけて、バラエティーも全力で取り組んで、本当に素敵な曲を作ってくれて ありがとう

 

たくさん苦しい思いをしたはずなのにライバルとして認めてくれて、じゃんぷをいつもパワフルなグループにしてくれて ありがとう

 

頼りにされてる分、プレッシャーも大きいはずなのにそれに応えてくれて、メンバーの心の拠り所になってくれて ありがとう

 

 

ソロデビューのプレッシャー、センターのプレッシャー、じゃんぷ内でのポジションに戸惑う日々、すごく悩みながらもこの10年歩んで来てくれて ありがとう。 

じゃんぷを大きくするために決断してくれて ありがとう
そんなにつらかったのに、必死にもがきながらも先頭を行ってくれて ありがとう

そして、今の大きくなったじゃんぷを見せてくれて ありがとう

信じていいのか迷った時には欲しい言葉をくれて ありがとう。

ファンをすごく大切に想ってくれて ありがとう

 

 

そして……

 

10年間、たくさんの幸せをくれてありがとう!!!!

 

10年間、Hey!Say!JUMPを好きでいさせてくれて ありがとう!!!!

 

 

11年目も、12年目も、20年目も、30年目も、どんどんおばちゃんになるし、20年目なんて三十路だけど、いつまでも応援させてください。

 

 

Hey!Say!JUMPがもっと大きく飛躍して、もっともっと素敵な景色が見られることを楽しみにしています。

 

 

2017年11月14日  りいこより

 

  感想等、もしよろしければコメントorこちらSarahah - り い こまで。。

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p.s. 例の男子とは成人式で再開し、この話をしたら覚えていないということでした(笑)

でも、「みんなイケメンだし、よくテレビで見る!」と褒めてもらって、裕翔くんが好きだと言っていました(笑)